おんねゆ診療所は2025年2月2日で開設20周年を迎えました

社会医療法人 雄俊会 理事長 三角彰宏

おんねゆ診療所は本年、開設20周年を迎えることができました。これはひとえに、温根湯の地域をはじめ地域医療に携わる多くの皆様のご指導とご支援の賜物と、この場をお借りいたしまして心より感謝を申し上げます。
法人名であります社会医療法人 雄俊会は、2005(平成17)年2月1日『おんねゆ診療所』としてスタートし、その後2008(平成20)年3月21日に医療法人、さらに2018(平成30)年9月1日に社会医療法人となり現在に至っております。

「雄俊会」とは、介護福祉士として活躍し若干30歳で逝去した長男「雄一」の『雄』、地域医療のフロンティア・「若月 俊一」先生の『俊』をいただき、医療・福祉の結合を目指して命名いたしました。
生まれ育った地域で自分らしく人生の最後を迎えたいという地域の皆様の希望を叶えるべく、2009(平成21)年10月1日には、介護・在宅医療連携の住宅型有料老人ホーム「春にれの里むか川」を開設いたしました。北海道の屋根「大雪山の麓」で、大自然の恩恵を受けながら介護度にかかわらず必要な医療を受け、終の棲家となる在宅介護・医療を追求しております。

また、医療分野では第一線総合診療を徹底し、へき地にいても高度医療の恩恵が受けられるよう各専門分野との医療連携を重視しております。また2011(平成23)年4月1日からは北見市立診療所を受け継ぎ、『おんねゆ診療所』に続く第二のへき地診療所となる『あいのない診療所』を開設いたしました。
地域の皆様から『おらが病院』と言われる医療機関となるよう、また『ここに住みたい』という地域創りに貢献できるように、今後も『質の高い医療・福祉』に取り組んでまいりますので、変わらぬご指導・ご支援を心よりお願い申し上げます。

 

おんねゆ診療所  事務長 大島 毅

おんねゆ診療所は本年開設20周年を迎えることができました。
これまでお支えいただきました地元温根湯の皆様をはじめ、関係の皆様に心より感謝を申し上げます。
少子高齢化に伴い全国各地で過疎化が進む中において、へき地における医療・介護の確保は永年の課題となっております。約4年前、私がここで三角理事長の下でお世話になることになりました際、温根湯での医療・介護設立への想いに触れ、大変感銘を受けたことを忘れることができません。
20年前の2005(平成17)年、郵政民営化によって地域が衰退してしまうのではないかと危ぶまれていたことがありましたが、地域で暮らす皆さんが生まれ育ったまちで、できるだけ永く生きていくために、この地域での医療・介護の重要性を大変重く受け止めております。

私も温根湯地区の一員としてそれらを衰退させることなく、関係の皆様と連携し取り組んでいく所存でございます。
今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

 

初代看護師長 三角美代子 (開設20周年について想うこと)

2004年12月25日、仕事を終えた先生(三角理事長)の運転する車に乗り、温根湯に向けて出発しました。温根湯での私たちの歴史の始まりです。

若かりし頃私は父との確執があったこともあり、自立の道を選び北見市の唐笠病院の寮に移り住むことに決めました。花丘の家から車道に下る近道にあった小さな洞穴の中で泣く母を振り切って、別れることになりました。花丘から見える町並みやつつじ山、特に実家の農場から見る大雪山系の山々はたまらなく好きで、大人になったらきっと戻ってきて、父を見返してやろうと密かに思ったものでした。その後私が勤務していた病院で父は最期の時を過ごし、看取ることになりました。父はまるで子供のように娘の私を頼るようになり、心のわだかまりは最後に一緒に過ごした3か月余りで全て消えました。

私の家出から40年余りの時を経て戻ってきた温根湯の地は、びっくりするほどの変貌を遂げていました。コンクリートと鉄筋の2軒のホテルがある一方、町にはキラキラとした灯りは無く、夜の暗闇には人の気配が無いゴーストタウンとなっていました。あまりの静寂の中、先行きに不安が募ったのを覚えています。
7年もの間、無医の町として「医者が来るかもしれない。」と何度も騙されていた町の人たちは、「本当に医者がこの地にきてくれるのか?」といった不信の目で私たちを見る中、診療所の開設の準備を始めました。

私はこれまで生きた道のりにおいて苦境に陥ったことが何度もあり、その度に自らの力で解決していきました。かつて洞穴で涙を流す母を振り切って家出した強い決意を思い返し、前向きに物事を考え苦難を乗り越えて生きてきました。しかし一番苦しかったのは息子を病で失ったことで、自分自身の未来を失ったように思いました。病に倒れた息子の最後の主治医である三角先生の存在は、当時の私たち親子の大きな支えでもありました。

何はともあれ、開業にむけた様々な準備を始めた中、町の人々との交流を深めていきました。酒好きの医者と昔と変わらない美代ちゃんとして皆様と接していきました。また、7年間放置されていた診療所の建物の中には少しずつ手を加えていくと、まだ使えるようなものなども見つかり整理・修繕に追われる日々を過ごしていた中、建物内の2階へと続く階段の途中の踊り場に、背景が薄闇の恐らく漁港を描いた絵を見つけました。薄暗い海の上にかすかに月の明かりが放たれている絵を、私たちの守り神とすることに決めました。この建物の前のオーナーがそのまま放置して忘れ去れていた絵です。彼は志半ばで自ら命を絶ちました。周囲は縁起も考えて、そのような絵は撤去したほうが良いとも忠告してくれた声もありました。しかしながら、敢えてこの土地に根を下ろす私たちを見守ってくれることを絵に願って、診療所の開設準備を進めました。今日に至るまでその絵は、私たちを見守ってくれています。

2月1日開設の診療所の受診者は9名でした。その後1人1人と地域の方が来るようになり、様々な要望も寄せられるようになりました。「生まれ育ったこの土地で最期を迎えたい。入院できる施設を作ってほしい。」との要望の声から、有料老人ホーム「春にれの里むか川」を併設し現在に至っています。この度20周年を迎えることが出来たのは、ひとえに地域の皆様の声と熱い支援の賜物です。また一緒に頑張ってくれている職員にも感謝の念が尽きません。更に、未だこの地の厳しい寒さに慣れず耐え忍んでいる先生にも感謝。長い間一緒に歩んできた見守り神の絵にも感謝。そしてこの20年全ての日々に感謝!!この先も長く長く、皆様との歩みが続いていくことを祈ります。

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